/梼原町茶や谷、山の「竜王宮・海津見神社」~龍馬の韮が峠を行く

梼原町茶や谷、山の「竜王宮・海津見神社」~龍馬の韮が峠を行く

茶や谷「海津見神社」から龍馬脱藩の「韮が峠」へ

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こんにちは!まめてっぽーです。どんどん寒くなってきましたね。そして、だんだんバイク乗るのが億劫になってきますね…。

今日は行った日は違うのですが、前回と同じ梼原町茶や谷の山奥にある「海津見神社」と龍馬脱藩の「韮が峠」へ、2016.10.9.に訪れた時のレポートです。

ルート

A、海津見神社

B、茶堂

C、韮が峠へ龍馬が歩いた実際の道ルートをあきらめる

D、イノシシと遭遇

E、韮が峠

山の竜王宮「海津見神社」

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梼原町茶や谷にある海津見神社・竜王宮。山の中なのに海の神様とはこれいかに!?という感じがしますが、山は水が湧き出す水源でもあるので、山の中の神社にお祀りされている水神様=龍神様=海の神様、はけっこういらっしゃるみたいです。ここからさらに山を登っていった四国カルストの大野ヶ原にも龍王神社があります。

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茶や谷のメインストリート(?)からすぐの場所に案内看板はあるんですが、そこから結構登ります。鳥居も下の看板から少し登ってきたところにあります。

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鳥居をくぐり抜け、その向こうの竹藪の脇を行き

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石の鳥居の前に出ます。苔むした古い狛犬の向こうに黄色い舟が奉納されています。

ここは大漁祈願に効く神様(?)とされ、江戸か明治の頃、ある人が高知の漁師にお金を貸したところ、結局その漁師はお金を返せなくなってしまい、せめてものつぐないということで、今でいう漁業権をその人に渡したらしいんですね。でも、その漁業権をもらった人は漁師ではないので漁のやり方が全くわからない。なのでここの海津見神社でおみくじをひいて、そこに出た日に網を打ったらものすごい大漁になったそうです。それ以降もおみくじで漁をする日を決め、それに従うと大漁続きで、あっという間にその人は長者になりましたとさ。

と云うような話が伝えられています、というような文を以前どこかで読んだのですが、どこで読んだのか覚えていません…(^▽^;) なんだろー?高知の伝説とか?そんなところだったのかな…??”(-“”-)”

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寄付を刻んだ石。明治初期の頃は公務員の年棒が50円だったといわれています。地域によっての格差もあるので、当時の100円は今だと200万円~500万円くらいするみたいです。100円、50円の寄付もありますね。立派です!(゜.゜) もしかして伝説の人かしら??

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木の彫刻も見事な本殿。

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お祀りされている 水神様は豊玉毘売神/豊玉姫神(とよたまひめ)。

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境内の集会所みたいなところには牛鬼がいるのが見えました。牛鬼と言えば、高知ではなく愛媛の宇和島が有名です。この辺は高知といっても文化的には南愛媛、南予の方が近いのかな?

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苔むした狛犬。左側の”うん”のコは前足をすっと立てていましたが、こちらのコはなんかじゃれついてる感じですね。持っているのは何だろう?樽?

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2016.10.9.訪問。山の水脈の力を感じる気持ちのよい場所でした。まだ緑が青々としていて、紅葉の頃はキレイだろうな~、と思ったのでした。

茶や谷から韮が峠をダイレクトに目指してみる

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龍馬が実際に歩いたリアル脱藩の道をバイクなら行けるかもしれない!と思い、看板を頼りに、茶や谷からそのまま韮が峠を目指してみることにしました。

四国の山道についてあまり知らなかったんですね…この頃は!(”◇”)

茶堂の横の道をどんどん登り、道がどんどんくねくね急坂になり、車が通らないので濡れ落ち葉が道一面に厚く積もる悪路になりました。タイヤを寝かさないように、滑らないように細心の注意を払って、ゆっくり廻り登りして行きました。もうこんな道で止まったら大変なので、写真を撮っている余裕はありませんでした。。。(;´Д`)

どこかで道がやっと二股になったので、もう断念して降りる道に!これが大正解でこのまま無理して行っても、どんどん石ころだらけになり水がチロチロ流れてるような本当のハイキング道、しかも上級者向けのハイキング道!になってしまい、モトクロスバイクでもとんでもなく行けない!という状況になってしまうところでした。あぶない、あぶない(◎_◎;)

 神の山地区でイノシシと遭遇!


(c) .foto project

ダイレクト韮が峠ルートをあきらめて、神の山地区を下っている時に、もののけ姫のタタリ神か!と思ってしまう程でかいイノシシに出会いました!画像のではないですが、一瞬ウシか!?と思うくらい大きかったです\(゚д゚`)/

カーブを曲がった先の道にぼーっと立っていましたが、すぐに山の中へ逃げて行ってしまいました!野生のイノシシなんか見たのは初めてで、びっくり体験でした!!

で、この後普通に県道379から韮が峠に行ったのですが、いたってこちらは走りやすい道で、最初からこっちにしとけばよかった…。

龍馬脱藩の道「韮が峠」

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文久2年3月26日(新暦では1862年4月24日)木曜日の早朝に、梼原の町(?)を出た坂本龍馬、沢村惣之丞、那須俊平、那須信吾の4人は昼頃にここ、韮ヶ峠に着いたと云われています。そして、ここで那須信吾だけが土佐へと引き返し、翌々週の火曜日の4月8日(新暦では5月6日)幕府派の土佐藩家老、吉田東洋を斬っています。

那須俊平の娘婿の信吾は身長180cmもある大男で怪力の持ち主、走る速さは馬より速かったとか。龍馬に深く傾倒していたというから、ここ、韮が峠まで来る道すがら龍馬と話をして「よし!いっちょ俺がやったろうか!」という気持ちになっていったのかもしれません?そして吉田東洋を暗殺後に脱藩し、吉村虎太郎の天誅組に入っています。

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左上から那須俊平、坂本龍馬、沢村惣之丞、那須信吾。梼原町「維新の像」の案内看板より。

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この先50mに行けば、私の内に何かがみえてくる!?(*”ω”*)

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ここかな??

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足跡の上に足を置いて歩いてみたけど…

修行が足りないんだろう、うーん…私には何も…みえてきませんでした(^▽^;)

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龍馬たちが脱藩したのは、今のカレンダーならゴールデンウィークの新緑の木々が美しい頃。初夏の気持ちの良い気候の頃、私も脱藩の道ウォーキングに参加してみようかな、と思いつつ秋の山を降りてきたのでした。

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